過去のご挨拶
2009年1月
2008年1月
2009年 年頭のご挨拶
(2009年01月)
昨年中は色々な方に支えられ起業6年目を無事に乗り越えることができました。
是もひとえに皆様方のお陰と感謝する次第です。
思えば昨年は前半に北京オリンピックを見据えた異常な好景気に沸いており、非鉄金属、半導体、燃料資源が軒並み価格を吊り上げていた。 大方の予測通りオリンピック後は、急降下するが如く経済が破綻していくさまが見て取れた。 アメリカのサブプライムローン破綻に始まりリーマンブラザーズ、はたまたビッグスリーの凋落傾向と落日燃ゆの感が否めない。 アメリカ経済は確実に市場の指定席を奪われ始めている。大体にして一極集中などあり得ないし金融お遊びで巨額の富を貪っていたツケが回るのは当然である。 実態経済が無いままマネーゲームで食い物にしていた輩はとっとと退場するべきである。
昨年末の御言葉は『変』が選定されていたが世の中全くもって変である。 変化の変、変革の変、様々に人は言うが、私には今迄の国策、教育の崩壊が変調をきたした全くもって意味の変容としか映らない。 一旦狂ってしまった軌道を修正するのは並大抵の努力では効かない。
森敦の『意味の変容(ちくま文庫)』に於ける所感で面白いことを言っていたので紹介するが
“任意の一点を中心とし、任意の半径を以て円周を描く。 そうすると、円周を境界として、全体概念は二つの領域に分かたれる。 境界はこの二つの領域のいずれかに属さねばならぬ。 このとき、境界がそれに属せざるところの領域を内部と言い、 境界がそれに属するところの領域を外部と言う。”
と言うくだりで、世界という言葉を使うが、「世界」と言った瞬間に内部と外部に分かれてしまう。しかし世界と区切ってしまうと境界が見えなくなり、境界を 見るためには世界の外部に立つ必要がある。認識の及ぶ範囲が外部にあると内部が見えないし、内部に入ると境界の外部が見えなくなる。境界がそれに属さない 大小のない無限の内部を実現し魅了することによって、世界の差違を消失させる。つまりいかなるものもまずその意味を取り去らなければ対応するものとする事 はできない。対応する事が出来なければ構造する事が出来ず、構造する事が出来なければ、いかなるものもその意味を持つ事が出来ない。従って少なくともまず 極小におい見、極大において見、初めて思考の指針を現実に向けて、その意味を変容において捉えなければならない。“
新年早々哲学してみたが、要するに内なる正義感を創出し、外からばかり見て物を言うより内側に入りじっくり思考回路を巡らせばおのずと進むべき方向性が見えてくるのである。
2009年は必ずしもマイナス面ばかりではない。世界同時不況が公的資金の世界同時注入に至り、経済そのものを立て直そうと躍起になるであろうし、 アメリ カは次なるマネーゲ-ムを虎視眈々と狙うだろうし、年末に予測した必ず次なる戦争を仕掛けるだろうといった言葉がまさに3日後に的中した(アフガンに増派 決定)。要するに軍需で国益を拡大している構造は拭いきれないのである。懲りない国家であることは間違いない。この影響度合いを他国に及ぼさないでほしい ものである。
さて然らば我々の業界はどうであろうか。モノが売れないというより世界同時不況により買い控えをしている状態である。とは言っても以前の購買層が現金をし まい込んでいる為、市場は活況を呈すまでには至らないのである。 箪笥預金的な物見を決め込んでいるし、企業は企業で何度も同じような状況を過去に経験している為アクセルとブレーキを踏むタイミングが又これ絶妙のタイミ ングである。決して同じつてを2度踏まないのである。おおよそ為替差損ぐらいは期初に想定してレートをシュミレーションしているであろうし、世相に反映し て、「うちも赤字」、「うちも赤字」と口裏を合わせている状況である。会社としては実に都合のいい話になっているのである。本当に苦しいメーカーは30% 位であり残りは便乗組が支配している。これは2009年の前半は体力測定をしているようなもので、後半まで体力の持たない短距離組は力尽きるのである。
業界の再編へと進むべきなのである。来るべきネット社会の功罪がここいらでも垣間見えるのである。私はこれはこれで大いにチャンスであると考える。市場原 理からすると新たなビジネストライの時期でもある。内なる指針がどれだけアイデアの創出と生きた金の使い方が出来るかである。
最後にこの年をいかに生きるかは、境界の内部、外部を冷静に見据え客観力と素早い判断力が重要で、御社にとって都合の良い境界に身を置くことが重要ではないでしょうか。
代表取締役社長 柿崎弘雄
2008年を憂いて
(2008年01月)
新年を迎え皆様方には一方ならぬご愛顧を頂き感謝する次第であります。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2007年度は何かとお騒がせな年であったような気がする。 偽造に始まり偽造で締めくくってしまった最悪の年かもしれない。 何故こんな日本になったのだろうとふと考えを過去に及ぼすと、個人的な見解ではあるが一つの結論に思い当たる。
団塊の世代の日本の成長過程で育った方たちは、馬車馬のように仕事をし、成果主義的な道を一心不乱に歩んでいたような気がする。 当然、人間関係や子供の遊び方も然り、良い意味での師弟関係、ガキ大将関係が保てていたような気がする。 それが今や子供を含め親の世代までがゲーム感覚で物事を進めてしまうのである。ゲームはストーリー性を持たず簡単にリセット出来てしまう。 何でもかんでも直ぐにリセットがかかるから終末の結論を見ないまま考えが及ばないのである。 特にシューティングゲームに至っては、ヒーローとやられ役がはっきりしており、ヒーロー役が勝つまで何度でもやられまくるのである。
何処か会社の人間関係にも似たようなところがある。関西方面の会社での出来事だが、朝礼があり其処では毎日のように若い技術者がみそくそに怒鳴られ、 訳も解らないまま恫喝まがいの業務指示を受けているのを見たことがある。 こんな会社では真実がおのずと伝わらなくなり、怒られないようにするにはどうすればよいかと言うテクニックだけが先行するようになる。 その場しのぎの対応で怒られなければ万時良しとなる。何処か偽装の取っ掛かりを見ているようなものである。 しからばその会社の商品と言えば全てがデッドコピーからスタートしているのもうなずける。 いわば会社ぐるみで偽装をしていることではないか・・・・・?
昔、若い時にマネシタ電気と言う言葉を聞いたことがある。 会社の成長期どの会社もたどる道なのかもしれないが戦略的にはすべてのトップを走るより開発経費を極力抑えて最大の効果を出したいのであれば2番煎じが一番効率が良いと思う。 しかし、そこには偽装ではなくオリジナリティを媚薬の様にまぶさないと拙い訳で、そこで生産活動のレベルを上げて体力がついた時に逆転すれば良いと思う。 昨年末の清水寺のお題目で「偽」と言う字が象徴のように締めくくられていたが、やはり言葉の響きをすれば当然の世の中になったのかなと考えてしまう。
話は戻すが今の子供たちは横のつながりは持てるが縦のつながりは中々持てないと思う。 遊びに集まっても黙々と5,6人でゲームの画面を向いて会話すらない状況でよく遊びの間が設定できるものだとつくづく不思議に思うのは私だけだろうか・・・・! 良き時代として必ずガキ大将がいて下の子の面倒を見ながら遊びの指南をしてくれたものである。我々が小さかった頃はそうしたいい意味での先生が周りにたくさんいた記憶がある。 そして先輩に教わったことを後輩に伝承していく、そこには得意な分野での必ずと言っていいほどのリーダーが出現するのである、知らず知らず社会の仕事のやり方を学んでいたのかもしれない。 子供心に頼れるリーダーがいて遊びを教えてくれる人を尊敬していたように思う。それが今の子供たちからその親の世代までは感じ取ることが出来ないのである。
これは何も子供たちの社会だけでなく、大人の社会でも同じで目の前に仕事のパートナーがいても指示命令、報告をメールで済ませているケースを何度か目の当たりにしたことがある。 コミュニケーション不足と言うより、よくそんな仕事のやり方を許可しているものだと不思議に思ったものである。 さて今年の生産現場はどんな動きをするのだろうか?前述のように実装現場では偽装はすぐに化けの皮が剥がれる。 やはりコツコツとノウハウを積み上げ、確実に生産性及び品質向上を維持継続する事が良き仕事を創出するのである。 信頼を勝ち取ってこそ次につながると思う。そんな意味で今年は生産現場にしっかりと維持向上できるような技術の田植えに専念したいと思う。 今の日本1次産業から3次産業、4次産業へと様変わりしてもベースは1次産業を理解したうえで4次産業に向かわないと今年も偽装の上塗りになってしまいますよ。。。。。。
今年もこんな戯言で一年がスタートしてしまった。。。
代表取締役社長 柿崎弘雄